いー君といっしょ

2015年11月20日……
最愛の17歳の息子を自死で失いました。
悲しみの記録と、彼の歩んだ道、そしてこれから残された家族三人の日々を記します。

息子を叱る資格はない、最初に棄てたのは僕だ

いー君は、ほぼ死産の状態から奇跡的に回復し、17年を生きた。


そして棄てた。


僕たちを、友人や恋人を……そして、未来を。


だけど、僕は彼を叱ることはできないんだ。最初に棄てたのは僕だから。


僕が統合失調症を発症したのが、皮肉にも息子が生まれる前後だった。


付き合って半年で、まだ20歳の嫁と結婚した。
そしたら、とんでもない『家格』の差に直面することになった。
嫁の家族の……まあ、地元の文化なんだろう。近畿の名家の細かいしきたりは、石川県の寒村の百姓での僕には、全く付いていけないことの連続だった。


そしてちょうど当時の会社もうまくいかなくなっていた。


聞こえてくる幻聴の笑い声と罵り、そして寝ころんで天井を見上げると、赤いボールがひもから垂れ下がり、見ているうちにどんどん増殖していく……という幻覚を見るようになっていった。


統合失調として、以来20年間の付き合いになるが、当時の精神科医は、ただ疲れているだけ、ストレスが取れれば治る……なんてよく調べもせずに、いい加減な診察を下したもんだから、僕も完全につぶれてしまった。


会社を辞め、無職の状態で息子が生まれた。


そして、嫁の親に、僕が無職なことをなじられて、完全に理性が崩壊してしまったんだ。


精神科医が、きちんと統合失調症の診断を下していれば、適切な治療を受けられていたと思う。
だが、『疲れているだけ』の僕に逃げ場所はなかった。


そして息子が生まれた次の日、僕は失踪して……岐阜と福井の県境のダムだったかに夜中飛び込んで死のうとしたんだ。


ダムは真っ暗で冷たかった。
死にたかったはずなのに、パニックになって必死に岸に向かったのだけは覚えている。


僕は、先に大切な家族を捨てた、とんでもないクズ野郎なんだ。


息子のことなんか責められやしない。


いま思えば、思いつめて死んでしまおう、なんて思考回路は遺伝だったのかもしれないな。
僕はとんだ罪人だ。


自分が発達障害だと、若いころからわかっていれば、家庭なんか持たなかったのに。
統合失調症なんて発症しなければ、息子を失わずに済んだのに。


でも、それなら最初から息子は生まれなかったことになる。


息子よ……
おまえは生まれて幸せだったのか、そうでなかったのか。


もう応えてくれることはない。
もう彼はこの世にいないんだ。


隠して僕は、死ぬまで重い十字架を背負って生きることになった。


僕はできそこない、キチガイ……そして、人殺し。


先に死ぬべき僕が、のうのうといま、生を永らえている。


でも、生き恥をさらしていこう。
他人の吐いた唾も罵りも、甘んじて享受していこう。


極楽浄土で全力の土下座を息子にするのは、僕が息子の分まで精いっぱい生きた後だ。





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