いー君といっしょ

2015年11月20日……
最愛の17歳の息子を自死で失いました。
悲しみの記録と、彼の歩んだ道、そしてこれから残された家族三人の日々を記します。

命を見送る



昨日は友達と、ちょっと遠出のドライブに行ってきた。
滋賀県の山の中の小さな渓流のそばの村。
せっかくだから、アユの塩焼きがあるから食べてみようよ、ということになったんだ。


店員さんにアユの塩焼きを注文した。


『今、網で捕まえてきたんですよ』
店員さんが、サービスなのか笑顔で言った。


そこには生きたまま口の中に割りばしをぶち込まれ、びくびくと痙攣するアユが4匹。


店員さんは当然だ、とでもいう風に4匹に塩をふり、生きたままコンロで焼き始める。


苦しげにのたうちまわるアユ達……


人によっては、新鮮だ嬉しいな、とでも喜ぶんだろうけど、僕たちはものすごく複雑な思いでそれを見ていた。


思い出したんだよね。


youtubeで見た、若い日本人の男の子の自殺の実況中継の動画を。


アユの動きが、ウチの子供と同じく首を吊ったその若い男の子のもがき方と一緒だったんだ。


脳は……魂は、生きることをあきらめ死を選択したんだと思う。


でも肉体は、最後の最後まで生きることを求めるんだよね。


手をジタバタして、暴れて、身をよじらせて……


壮絶な生への執着。


僕は、やがて白煙を上げ焼け始め、動かなくなったアユの命が尽きる瞬間を目をそらさずに見守っていた。


なぜだかは分からない、僕はこの先死ぬまで……
こういうことから目を逸らしちゃいけないと思ったんだよね。


いー君の最期は……


やっぱり、肉体はあくまで生への執着を求めたんだろうか。


アユのように、あの動画の男の子のように、最後まで抵抗したんだろうか。


僕はそんなことを考えながら、アユの最期を看取っていた。


直接じゃないにしろ……僕は4匹のアユに手を下した。


僕がアユを食べよう、なんて言わなけりゃ、その日1日は余計に生きられたかもしれない。


うまくいけば、ほかのアユを犠牲に網から逃げ切り天寿を全うできたかもしれない。


でもね、店員さんを僕は責められないんだ。


僕は、自分の子供を……直接ではないけど、手を下したかもしれない。


僕がしっかりしていれば……


いー君も、4匹のアユ同様命を落とすことはなかったのかもしれない。


僕があの時、ああ言っていれば。


僕があの時、ああしていれば。


世の中、綺麗事で生きられないのは分かっている。


でも、もう沢山なんだ。


身の周りで、命のともしびが消えていくのは。