いー君といっしょ

2015年11月20日……
最愛の17歳の息子を自死で失いました。
悲しみの記録と、彼の歩んだ道、そしてこれから残された家族三人の日々を記します。

梅雨空と短編小説の君と

今日の遺族会も有意義だった。


やっぱり、こういう集まりって大事なんだ。
弱音を堂々と吐き出して、沢山の人と分かち合いが出来る場所。


自死遺族と言っても、それぞれの人が、それぞれの物語を持っている。


亡くなった人たちの歩んだ道も、多種多様なんだよね。


それぞれがそれぞれの一生という物語を、書き終えて命を絶っていく。


人の人生って物語なんだよね。


そして……


無駄にダラダラと生きて、そんなに意味のなかった不完全燃焼な人生もある。
それはまるで、駄作の長編小説のよう。


そして短いけど、中身のびっしりと詰まった人生もある。
それは後世に名を遺す、素晴らしき短編小説のよう。


そう……


長いことがいい事とは限らないんだよね。
どれだけぎっしり中身の詰まった物語を、一生でどれだけ綴れるか。それが大事。


そもそもが、自分が人生で綴る物語は……本人が満足すればそれでいいのかもね。
長短を評されるなんて、大きなお世話なんだろう。それが親であろうとも。


いー君も、ちゃんと自分で満足してきっと物語を書き終えたんだと思う。


僕は短編小説なのが惜しいと思う……それだけなんだ。


中身のびっしり詰まった物語。
燃えるような恋もあった。
幸せな時間があった。


でもそれは、短編だから素晴らしいのかもしれない。


確かに……僕の誇るべき息子は、短いながらも傑作を書き上げたんだ。


今はただ、そのことを寿ごう。


今はただ、そのことを誇ろう。


そうだ……短かったけど、短いからこそよかったのかもしれない。


親としては……意味のない文字の羅列でも、長編であってほしかったと思うけど。


いー君が短編小説を選んで、物語を書き上げたんだ。それでいいんだ。


もっと……褒めてあげなきゃね。


彼の素晴らしき物語を。


僕は彼の物語の登場人物になれて、誇りに思うんだ。


僕には短編小説の才能はなかったけれど……


息子の書きあげた短編小説を、あまねく世に広めるのは僕の仕事だ。


沢山の人に読んでもらいたいんだ。


僕の誇れる息子が書き上げた短編小説を。


願わくば……


短編小説を書く作者が、この世から一人でも減ることを願いながら。