仏壇……探しに行かなきゃ
息子の死と葬儀……悪夢のようなあの時から、一週間が経とうとしている。
長いようで短い一週間だった。
ずいぶん残された僕たちも、精神的に立ち直ってきたように思う。
正直ときどき思い出しては泣きそうになってしまうんだけれども……
彼のことを笑って話せる日が来る……
遠くない未来、そんな日が来ると思うんだ。
妻も口には出さないけど、まだまだ相当精神的に疲れているみたいだ。
家事で僕が出来ることは、できるだけ協力してあげないと。
明日は日曜日。
満中陰を四十九日じゃなく、五七日の年内でやってしまうことも、お坊さんと決めた。
うちの浄土真宗での考え方は、死んだら即時に仏さんになるという教えなんだ。
だから、草葉の陰も、成仏できないも、死んで彷徨うもへったくれもない。
法要はあくまで、仏になった息子が、遺された僕たちと、お坊さん・御寺との縁をつないでくれる機会を作ってくれる……という考え。
嫁の家はまた別宗教でいろんな考えがあるんだろうけど、その点は嫁も理解してくれているみたいだ。
もう救われてる……
そう思わないと、自死遺族なんかやっていけないと思うんだ。
よく自殺したら、その場所に縛り付けられて永遠に苦しむ……とかいう人もいるんだけど。
まあ、僕らの信じてることも、その人が信じてることも……言ってしまえばどっちも根拠も証拠もないんだけどね。
そういう論争もする気はないんだ。
息子が救われてる、と僕が思えば救われてるんだ。それでいいよね。
話がそれたけど……明日は、家族みんなで、うちの息子にくつろいでもらう仏壇を探しに行くことにした。
ちょっと初七日が終わったばっかりで、気が早いかもしれないけど、買う必要はない。
見に行くだけでもいい。
息子の遺影も持って、久しぶりの家族みんなでのお出かけだ。
で、ちょっと外食でもしようかな。
そこはその時のノリで行こう。
徐々に僕たちは、前を向き始めている。
いまでもときどき、息子が死んだあの時の……
息子を半狂乱で心臓マッサージする嫁の姿と泣き声を思い出してしまう。
わかってる。
もう戻れないんだ、あの時には。
前を向いて、歩きださなきゃ。
遺された、妻と娘を励まし、引っ張るのは僕の仕事だ。
前へ。
一歩でも前へ。
それが僕たちのこされた家族が出来る、唯一のことなんだ。
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