いー君といっしょ

2015年11月20日……
最愛の17歳の息子を自死で失いました。
悲しみの記録と、彼の歩んだ道、そしてこれから残された家族三人の日々を記します。

いー君は嵐の夜に

ここで、逝った息子、いー君の生まれた日のことを書いておく。


いー君は、1999年10月17日……台風が直撃して交通機関がマヒした日のことだ。


よりによって、最悪の出産となった。


急性胎盤剥離……大量出血で妻が病院に運ばれ緊急手術となった。
……が交通機関は麻痺、遅い時間。手術をうまくできる人はいなかった。
なんと、当時の院長先生が、兵庫から京都最南端まで、タクシーを飛ばしてきてくれた。


長時間に及ぶ手術。
院長先生は僕を呼び、母親は意地でも助けてみせるが、赤ちゃんはあきらめてくれ……そういった。


大量に肺に血がたまっていて、もはや助からないとのことだ。


いー君は本来、死産になっていたはずだ。


だが、彼は奇跡的に助かった。


いま回想すると……
彼は仏様に17年という命の期限付きで、特別に生かされたんだと思う。


僕たち家族に……そして周囲のみんなに、幸せを与えるために。
僕たち家族に……そして周囲のみんなを、やさしさで包み込むために。
そして、みんなに命の大切さを、身をもって教えるために。


いー君は、しっかり与えられた仕事をやり遂げて、帰って行ったんだろう。
17年という与えられた時間。そして僕たち家族のために、誕生日から1カ月分余分にいてくれるサービスまでしてくれて。


本来存在しなかった『幸せな時間』を、いー君は僕たちにくれた。


またこのことは、後日語るとしよう。


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