いー君といっしょ

2015年11月20日……
最愛の17歳の息子を自死で失いました。
悲しみの記録と、彼の歩んだ道、そしてこれから残された家族三人の日々を記します。

外れたままの線路を走る

相変わらず脱輪したまま、時間という汽車は走り続ける。


もう幸せなんて終着駅が無いと分かっているのに、時間という汽車は走り続ける。


僕の障害、嫁の苦悩……そして娘の不登校。


なにも変わることはない。


脱輪が治ったところで、幸せという駅にはたどり着けない。


たぶん新学期が唯一の復帰のチャンスだったんだろう、娘の不登校が治るのは。


でも治らなかった。


4月もまた脱輪したまま、5月という駅のホームへと向かう。


でも責められない。


誰も身内の自死からなんて逃げられない。


誰も身内の自死なんかから立ち直れない。


娘を責めることなんかできやしない。


立ち止まることなんかできやしない。逃げ出すこともできやしない。


僕らは見えない力に背中を押され、時間という列車で運ばれていく。


時間は日にち薬……確かにそうなんだろう。


息子が途中下車してしまった『あの日』という駅からはずいぶん遠ざかってしまった。


でも悲しみはゼロにはならない。


あの日の記憶は完全には無くならない。


僕は何もできないまま、途中下車も出来ないまま、5月という駅へと向かう。


6月も、7月も、8月も……


幸せという駅なんかありはしないのに、僕らは脱線したままで旅を続ける。


出来れば3つ先の駅でもいい、1年という先でもいい。


僕は終着駅を渇望する。


終着駅にはきっと……


途中下車した息子が、両手を広げて僕を待っていてくれる。


僕は終着駅を渇望する。


もう旅はいらない、車窓なんか涙で何も見えやしないんだ。


僕はただ……


僕はただ……


息子が待っていてくれる、終着駅を渇望する。



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